Joy & Jura

イタグレのジョイ兄とウィペットの妹ジュラとの生活をお春丸が記録しています。犬のことも犬以外のこともぼちぼち書きます。

ジョイの誕生日 と ババ様の一周忌

  • 3月13日金曜日
どうってことのない、朝の一枚だけど
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ジョイ11才の誕生日である。
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繰り返す、ジョイ11才の誕生日である。
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キャー おめでとー パチパチパチパチf:id:joju8:20140313144558p:plain
 
 
以上、終了。
いやいや、夕飯にはちょいと豪華に牛肉メインの手作り食にしたさ。
 
ただねー、こういう・お祝い・お遊び写真みたいなことはしてない
           ↓    ↓

 

せねば!せねば!!

と言うより

したい!したいのだ!!

 

なのだけれど、

いかんせんジョイの誕生日は毎年タイミングが悪く

確定申告の時期だったり、今年からは誕生日翌日が祖母の命日だったりと

何かと犬遊びにかまけてられないのだ。

 
命日には、お墓参りに行ってきた。
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親族を集めての一周忌は執り行なわなかった。
それは亡き祖父の方針だったり、親族が高齢過ぎてわざわざ
集まるのが大変だったりするからだ。
 
 
思えば、私が三十歳を迎えてすぐの母の死から始まり
その後の九年間は、ただひたすらに順番に家族を見送る三十代だった。
大人になっても両祖父母が健在だったことは、珍しいことであり
恵まれていることでもあり、私にとっても幸せなことではあったが
九年の間に五人もの家族を見送ったと言う事実はなかなか重く疲労するものだった。
特に母と叔母が番狂わせのように、祖父母より早くに逝ってしまったのは堪えた。
仲が良いとか、悪いとか、どうってことないとか、そういうのを抜きにして
家族のメンバーが突然、どんどん、いなくなるってのは変な感じなのだ。
今では少し慣れてしまって、
そういえば私にも血縁の家族って人たちがいた時代もあったんだけなぁ?
というような奇妙な感覚に襲われる時がある。
 
実は今回のように命日にきっちりと日にちを合わせて、お墓参りに行くのは
初めてである。そうしてしまうと、それぞれの“死”が“本物”だと認めるしか
なくなりそうでいやだった。
ところが、昨年見送った祖母の最期は本当に我がままな童女のようで
この人は子供時代にちゃんと親に甘えたり出来たのだろうか?と
思わせる程に心の丈を私にぶつけてきたので、なんだか命日にお参りしないと
癇癪を起こしそうな気がして、ついにちゃんとお参りをしようという
気になったのだ。(それは、なんとなく微笑ましい感情で)
そう考えると、最後に集大成(?)として祖母を一人で見送ったのは
私にとって、とても大きな意味があり、大きな力となったのかも知れない。
 
命日から逃げていた、と言うようなことを書いたが
たしかに母が亡くなってすぐは、あまりのショックに呆然と立ち尽くし
これからの長い人生、一体どうやって過ごせば良いの?私にはとても無理かも・・・
とすっかり意気消沈し、ろうそくの灯が消えるように私の生命力も
小さく、微弱なものになってしまったのだけれど、その灯は消えることはなく
今となっては、あんなに無理だと思ってたのに、
「私、十年近く生き続けたやん!」
と自分でも感心する程に、なんやかんや言いながら楽しく過ごしてきた。
案外、私、強いのかも。と思う今日この頃で、気が付けば私の灯もすっかり
普通の状態なのだ。
そもそも、子供時代に親を亡くす人たちも沢山いるし、それぞれに色んな死別を
乗り越えて生き続けている“人”って、つくづく強いなぁと感心する。
それは人が強いと言うより、生き物として元々備わっている生命力なのかも知れない。
 
命日から逃げている自分がいると思ったら、家族のいない状況にすっかり
慣れてしまったような感覚になったり、はたまた、突然、闘病時代のトラウマを
感じさせるような母の夢を見たりと(今でも時折、母が夢に出て来たりする)
この九年間の亡き家族に対する、自分の想いは自分でも掴み切れないものだったけれど、
最近、ようやく、掴みかけたことがある。
それは、家族は死んでも自分の中から消えない、むしろ生前中よりも
深く自分の中に入り込んで来ると言うこと。
それこそ、前まではみんなどこか、訳の分からないところに消えてしまった
と言う感覚だったけど、それなりの月日が流れ、
あぁ、彼らは私の中からは消えたりないのだとく実感している。
繰り返しになるが、昨年亡くなった祖母との最期の日々はあまりにも
嵐のような日々だったので、亡くなった直後はもう、全てを忘れて
記憶から抹消してしまいたい、と思っていたが
ここ最近は
“仕様がないなぁ、お祖母さんも少しくらいは私の中に住ませても良いか!”
と心変わりした。
 
何かで読んだ、死別を乗り越えるのに大事なことは
・現在も故人と繋がっていると確信 出来ること ・悲しくても心を閉ざさないこと
であると。
随分と時間かかってしまったけど、やっと、そういうことが少しは分かるように
なってきた。
 
「私もやっと強くなってきたましたよ、私は私でしっかりやれているので
そちらも、そちらでしっかりやって下さいな。」
 
とさっぱりとした明るい気持ちで墓前に手を合わせた。
 
 
 
長い日記になってしまった。
そういうわけで、ジョイの誕生日やらおババ様の命日やら(ついでに確定申告)で
色々、考えてしまった一週間でした。
 
ジョイのポートレート写真はそのうち撮るからね!

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 「ハラヘッタヨ―――!!」
 
 
 
 
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