ドラえもん展に行ってきた
~東京に行って来た記事に戻ります~
六本木ヒルズです
目的は森アーツセンターギャラリーで開催されているドラえもん展を見に行くこと。
一言で言うと、敷居の低い現代アート展でしょうか?
ドラえもん原画展とかそういうのではなく、複数名の現代アートなどの作家に
「あなたのドラえもんをつくってください」
という共通テーマでの作品制作が企画されたということです。
事の発端は、2002年に大阪サントリー・ミュージアムで「THEドラえもん展」が開催されたことで(私は知らなかった)、相当評判が良かったらしく、今年ついに帰ってきた!!!と歓喜の声が上がったらしいです。
(テキトーに書いてます)
敷居の低い現代アート展と書いたのは現代アートを楽しもうと思ったら、感性だけでなく、知識と思考が必要になってくるので、知識の無い者には中々敷居が高いからである。これが俗に言う“現代アートはよく分からん”ってヤツです。知識とは美術史から始まり、社会情勢や哲学的思考まで加わってくる。思考の仕方はそれはまるで公式を解くような作業でもあり(数学みたいに答えが一つとは限らないが)、なかなか難解なのだ。しかも、知識はどんどんアップデートされなければならない。なので、ほんの少しばかり勉強した私も、月日の流れによって知識はどんどん消えてなくなっている上にアップデートもされてないので、現代アート的思考がどんどん薄れていっている。
(というか、もう思考停止、一日を回すのが精いっぱい)
そういう中で、こういうドラえもんと言う割と万人に思い入れがあるものを共通テーマに設定することでグッと現代アートが身近に感じられるのではないでしょうか。
しかも、写真撮影OK。(一部例外あり)
ということで、サクサクッと展示されていた作品を紹介させていただく。
ハイ、しょっぱなから言わずと知れた村上隆さんの作品が出迎えてくれます。
掴みO.Kってヤツですな。
(こちらは2002年のドラえもん展の作品らしい)
タイトル「ぼくと弟とドラえもんとの夏休み」
大作です。
タイトル「あんなこといいな 出来たらいいな」
生で見ると意外と手仕事感がありました。(コラージュ)
これから写真が多いので、本当にサクサクッとダダ―ッと載せますね。
※左に作家名・右にタイトル記載
Mr. 「重力ちょうせつ機」
部分
(ドラえもんの白い部分の色がきれいだった)
蜷川実花 「ドラちゃん1日デートの巻 2017」
手作り風アルバムも展示されていて、自由にページをめくることが出来ました。
会田誠 「キセイノセイキ ~空気~」
説明文を載せてみます↓
「僕は「現代美術」というジャンルで作品を作っているので、今回もその路線で作りました。興味のある方は頑張って読み解いてみてください、ネット検索も有効かも知れません。説明は以上です。」
現代アートっぽいですね。現代アートに興味のない人にとって、現代アートってこういう感じかと分かりやすい説明文だな。ハイ、どうぞ興味のある方はネット検索されて下さい。
ちなみに私はこの2003年の作品が好き(笑)⤵
つづき
山口 晃 「ノー・アイテム・デー」
まんがとしても見れるが、吹き出し口を読まずにアートとしても見れますよ、と言うような説明文がありました。
町田久美 「星露」
材料:高知和紙に岩絵の具、顔料、墨、金泥、金箔、銀箔、金属箔、鉛筆、油性色鉛筆
こちらの作品、画像では伝わらないと思いますが質感がとてもきれいでした。
岩絵の具っちゅうのは宝石のようなものですから、(石を砕いている)そら美しい。
その美しさとドラえもんの違和感が好きだったな。
出た!奈良美智!!母が好きでした、ハイ。
この手のひらサイズのオブジェ、お持ち帰りしたいくらいだったわ。
タイトル:依然としてジャイアンにリボンをとられたままのドラミちゃん@真夜中
れなれな 「静かな決意」
篠原愛 「To the Bright ~のび太の魔界大冒険~」
部分
(もうね、サクサクいきます(;'∀'))
山口 英紀 「ドラえもん ひみつ道具図典 ~タケコプター~」
コラボ作品
伊藤 航 (ペーパーアーティスト)
すんげーぇ(''Д'')
山口 英紀 「ドラえもん ひみつ道具図典~自動万能工事マシン~」
伊藤 航
坂本 友由 「僕らはいつ大人になるんだろう」
説明文:僕は大きな絵画が好きです。理由は非日常的体験をくれるから。たぶん大型スクリーンで写る映画体験に似ているんだと思います。この非日常を味わっているのは何も僕らだけではありません。スクリーンの中から彼らもまた日常生活を抜け出して大冒険に身を投じているんです。クライマックスの1シーンを通して、この非日常性を串刺しにして共有する装置が出来ないかと考えました。僕らは危機に立ち向かいながらも成長し一歩大人へといきます。成長の物語もまた、「映画ドラえもん」でしか描けない一種のパラレルワールドなのだと思います。
そんな彼らのパラレルワールドのひとつに自分の作品も加われたらなと思い描きました。
森村 泰昌 コイケジュンコ コラボ作品
森村 泰昌&ザ・モーヤーズ 「ドラス」
ドレスじゃなくて、ダラスです。
山本 竜基 「山本空間に突入するドラえもんたち」
増田セバスチャン 「YOUR COLORS
ベロは毛糸
とありあえず、ダダダーーッと並べてみた。(勿論、全部じゃないよ)
なんかね、写真が撮れるっていうのは良いけど、段々と自分は何をしに来ているのか?
鑑賞なのか?写真を撮りに来ているのか?分からなくなってグッタリはしました。
撮影不可のインスタレーションもあったり、見応え充分でした。
個人的にはしりあがり寿の脱力した作品が好きだった。劣化、だそう。
(販売グッズより)
それで、少し話は脱線するけど展示されていた作品のうち、二作品に毛皮が使われていました。(一つは撮影不可)
鴻池 朋子 「しずかちゃんの洞窟(部屋)」
大作です。
力もあるのだと思う。
でもね、私にはもう無理・・・。
毛皮を見たとたんにアートとしてはもう見れなくなってしまい、作家が何を伝えたいのかとか、そういうことの思考が完全に止まってしまう。あとで、調べたら他の作品でも狼の毛皮は使用されているようで、モンゴルで駆除された狼の毛皮を使用していて、資金は自然保護団体に寄付されているのだとか。
何それ?その、一応気を使ってます!みたいなてい。ごめんなさい、好きじゃないです。
日本だって日本狼を絶滅させているし、人間と狼の共存が難しく、モンゴルに対して駆除なんてイケない!!と言うのもどうかと思うけど、それでもあえてその駆除が本当に正当なものなのか(遊牧民が昔ながらの生活で狼の毛皮を着用するのはよしとして)疑問を持ちます。
全面の素材は牛革で工芸的な表現なのかも知れない(?)百歩譲って、牛の副産物を有効利用しているとして、毛皮って・・・どうよ。。ちなみに毛皮はドラえもんのポケット?だったけな??
これはあくまでも、完全に私の考えなので正しいかどうか抜きにして下さい。
私はこういう動物を生々しく利用した作品が好きじゃないです。何故ならば、作家たるものは一般人よりも、さらに弱きものに大して敏感な眼差しを待つべきなのだと、私は思っているから。普通の人は日々生きるのに精いっぱいでそこまで余裕がないかも知れない、でも、作家たるもの、そういうところにも目を向け、人々をより良い世界へ導いて行く存在であるべきだっていうのが私の理想論。
勿論、戦場カメラマンのように負傷するもの、死にゆくものを助けずに描写する、という一面が作家にもあるのだと思う。
でもね、そういう狂気を含めても根底はこういうことなんだと思う↓
Love +Peace 戦争反対
太宰治の言葉を借りるのなら
「弱者の友なんだ。芸術家にとって、これが出発で、また最高の目的なんだ。こんな単純なこと、僕は忘れていた。僕だけじゃない。みんなが、忘れているんだ。」
(畜犬談より抜粋) 詳細はこちら⤵
だから、力があって、毛皮を使わなくても十分に表現力があるのに、それを使っちゃってる作品があって残念でした。これを見た人たちがどう思うのか?世の中に良い影響を与えるのか?
以上、ドラえもん展雑感でした。
冒頭の内容に戻るけど、万人ウケしやすい現代アート展でした。こういうことも大事なのだと思います。
気楽に楽しめる展覧会なので、近くの方は遊びに行かれたら楽しいと思いますよ
ちなみに、子供の頃私はドラえもんがものすごーーーーーーーーーーーーーーく好きでした。毎日、ピアノの練習を7時30分までに最低30分はするように決められていたのですが、ある金曜日のこと(金曜日7時はドラえもんの放送日)7時までに練習を終えていませんでした。今夜は見逃してくれるかな?と思ったらピアノの練習をしていないのだからドラえもんは見れないよ、練習しなさい、と言われ、わたしは空き部屋の和室に逃げ込み30分間、一人に大泣きし続けたのです。
ピアノの練習はしてやるものか!ドラえもんが見れないいなんて!!
ワーーーーーン💦 ワンワンワーーーーーーーーン💦💦💦
と悲劇のヒロイン一丁出来上がりです。(笑)
それくらい、ドラえもんが大、大、大好きでした。
オワリ
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