Joy & Jura

イタグレのジョイ兄とウィペットの妹ジュラとの生活をお春丸が記録しています。犬のことも犬以外のこともぼちぼち書きます。

畜犬談

お恥ずかしながら、太宰治からこのような短編が出ていたとは知らなかった。


唯一、最初から最後まで読んだことがあったのは「斜陽」くらいかな。
読んだ内容より、それを読んでいた時の空気感の方が印象に残っているくらい。
春休みに帰省した実家、当時、神戸の震災で被災していて、荷物の溢れた埃っぽい
リビングに置かれた、むき出しのマットレスが私の就眠場所であり読書スペースだった。
読み進めて行くうちに、小説の中で墜ちて行く家庭と、別の意味で命は免れたがすっかり
壊れてしまった我が実家が重なって行くような妙な感覚。
途中までやっぱり暗い(?)のだけど最後には、主人公が強く生きて行こうとする希望が
ありそこもやっぱりだぶる。もちろん!我が実家は貴族でも華族でもないけどね。


そして今年、畜犬談なる短編を知るきっかけとなった

太宰治テレビNHK太宰治短編小説集」アニメーション作品のテレビ番組

なになに?犬嫌いな飼い主が引っ越しと犬の皮膚病発症を理由に
飼い犬を殺そうとする!?
ジョイ・ジュラも一緒にいるのにそんなこと言うの、テレビでも
止めてくれ(>_<)ジョイもジュラも内心ドキドキしている筈だ!と
焦りつつ、好奇心を刺激され夢中で最後まで見た。


結論から言うと、最後に私は感動してしまった。
なので、読んでいない方にはここからネタばらしとなるので
是非、この日記なんぞ見ないで本屋にでもアマゾンにでも移動して欲しい!
きりぎりす (新潮文庫)

それでも移動しないあなたには、読みにくいけどこちら→畜犬談
ハイ、読み終わったあなた、もしくは畜犬談なんて
「読んだことがあるに決まってるだろ!」
と言うあなた、はたまた、私は読書しないし結論知ってもいいよ(^^)/と言うあなた



どうぞ、読み進めて下さいませ。
重ね重ね言うけど、ここで最後を知ってしまうのは勿体無いよ(>_<)

ねぇ、ジョイ・ジュラ!生きているうちに感動できることって
そうそう何回もあることじゃないもんね。
この感動、私にとっては、坂口安吾の「夜長姫と耳男」を読んだ時以来の感動ですもの。


「何に、感動するかは人それぞれだよ。いいから、言っちゃいなよ」

そうね、それじゃ続きを。
嫌い嫌いと言いながら、内心、情が移ってしまっているその犬を
明け方早くに、犬と出会った場所に連れて行き、毒入り肉を食わせて
殺そうとする主人公。踏みとどまらない。肉をやってしまう。
ぺちゃぺちゃ食べる。だが、犬は死なず結局は一緒に帰宅するのだ。
そして、妻にこう言う↓ ここから抜粋


「だめだよ。薬が効かないのだ。ゆるしてやろうよ。あいつには、罪がなかったんだぜ。
芸術家は、もともと弱い者の味方だったはずなんだ」私は、途中で考えてきたことを
そのまま言ってみた。「弱者の友なんだ。芸術家にとって、これが出発で、また最高
の目的なんだ。こんな単純なこと、僕は忘れていた。僕だけじゃない。みんなが、忘
れているんだ。僕は、ポチを東京へ連れてゆこうと思うよ。友がもしポチの恰好を笑
ったら、ぶん殴(なぐ)ってやる。卵あるかい?」


抜粋終了

こう言って、結局は妻に卵を我慢をさせ、ポチに食べさせるのさ。
犬の名前はポチ、そんなお話。
ユーモアな笑い話という評価もあるし、本当の所は私には分からないけど
芸術家が弱者の友なんだというところは、妻への言い訳として言いながらも
本質をついていると思ったのだ。
弱者の友のふりしつつ、弱者を利用しているだけのアートも作品も見受けられる現代←(個人的な感想だけどね)
本当に久しぶりに感動したのだ。
しかも、犬もしくは動物嫌いな人間へ訴えかける力もあるように感じる作品。


小説の世界の中の出来事だから踏みとどまらないのが良い効果を生んでいる。



こういうのを読めば、現実世界では踏みとどまれることもあるかな?